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我々(一社)尾道青年会議所は活動の基本を「奉仕」「修練」「友情」におき、会員は「明るい豊かな社会を築き上げる」事を共通の理想として活動を行っております。
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2017年度 理事長 太田 雄介

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日本で一番子どもが元気なまち
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つろーてたんびゅう

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みらせん

2012年事業

シーサイドパレード2012

2011年事業

くるり・おのみち
尾道市役所
尾道市教育委員会
尾道観光協会
尾道のいいね著名人

尾道のいいね著名人

他のいいね著名人(敬称略)

 

村上 恭和   2014.12.20
村上 恭和
profile

〜 縁 〜
日本女子卓球ナショナルチーム監督 村上恭和氏
尾道市立向東中学校、近畿大学附属福山高等学校出身
2012年ロンドン五輪において日本卓球会初のメダル獲得(銀メダル)

私が育った故郷は海に囲まれたまち、尾道市は向島。
私が幼かった頃は御調郡向東町と呼ばれていた。
島の向こう岸にあった都会、それが幼かった頃の私が抱いた尾道の印象であった。
夏には盛大な花火大会、商店街には金魚すくいなど尾道には楽しいことがいっぱいだった。
祖母に連れられお寺にもよく行った。節分の時にはよく餅や豆をもらいに行ったものだ。
中学生になったころ、卓球を本格的に始め、尾道にはよく通った。
久保中学校や長江中学校の体育館には試合で良く通ったことを覚えている。
仲間のみんなと自転車に乗り、渡船で尾道に渡り、坂道を登って通った体育館。
試合の後に食べた朱華園の中華そばやお好み焼きは最高のご褒美だった。
そんな楽しい記憶が溢れる故郷、尾道。
大学の頃、尾道に帰省し、歓楽街に出れば、そこには肩と肩が触れ合うほどに人が溢れ、尾道の活気を感じるのが楽しみでしょうがなかった。

仕事柄、日本全国、世界を回ることが多い中、やはり落ち着くのは海があるまちだ。
必ず海を見に行き、そして潮の香りを感じる。
私の育った環境がそうさせるのだろう。
学校が終われば仲間達と海に遊びに行ったあの楽しかった思い出が今でも心に残っている。

どんなに忙しくとも年に2回は尾道へ帰ることにしている。
尾道に帰れば墓へ参り、そして馴染みの店へ顔を出す。
今は少し足を悪くした寿司屋の大将、決まって鰆のたたきにニンニクを添えて食べる。
なぜか夜の10時頃になると人がいっぱいになるうどん屋。
そしてスナックが2軒。
尾道の人たちが話す尾道弁の一言一言があったかい。
大阪からだと日帰りすることだってできる距離だが、あえて一泊する意味はそこにある。
一呼吸するための大切な時間を尾道で過ごす。

そんな私の大切な故郷、尾道。
尾道出身というと皆から羨ましがられるまち。
歴史を持つ寺も多く、坂道から見える景色は素晴らしい。
寺のまち尾道、海のまち尾道、人のあたたかさが息づくまち、この尾道がもっともっと魅力を発するまちであって欲しいと願う。

風景の発見 

戸田 芳樹    2014.10.30
戸田 芳樹 
profile

〜縁〜
戸田芳樹 様
広島県尾道市出身。東京農業大学造園学科卒業。
東京・京都にて庭師の修行後、アーバンデザインコンサルタント(代表黒川紀章)を経て、1980年戸田芳樹造園設計室を設立、後に株式会社戸田芳樹風景計画と改称。
シンプルでダイナミックな空間でありながら、暖かく柔らかい空気の味付けと、こまやかなディテールの作品を創り続けている。
1989年東京農業大学造園大賞を受賞、1995年修善寺「虹の郷《で造園学会賞を受賞、1996年から東京農業大学造園学科(現造園科学科)、1999年から2003年まで千葉大学緑地・環境学科、2002年から京都造形芸術大学通信教育部ランドスケープコースで非常勤講師を務める。
愛知万博ではランドスケープディレクターとして、会場づくり全体の監修を行う。近年中国でのプロジェクトを受注する中、北京・上海・南京において講演会を開催。

 この写真は昭和32年頃、尾道の実家でお正月に撮ったものです。家族6人で一番小さいのが私です。私の実家は浄土寺の東にあり、昭和28年に公開された小津安二郎監督「東京物語」のロケ地に選ばれました。早朝、名優笠智衆が庭で手入れする姿、背後の浄土寺の多宝塔の映像を美しく感じた事を良く憶えております。映画鑑賞の後、父が「あれは良い構図だから今度みんなで写そう」と提案し、それがこの写真となった訳です。当時父は2種類のカメラでスナップを撮っており素人ながらこのショットにピンと来たのでしょう。それにしても毎日見ている風景が監督の手に掛かれば、深い思いが重層した映像として再現されるのに驚いたものです。

 「ながめ」はそれを認める視点があってはじめて「風景」となる。

 後年、私はこんな風に思うようになりました。雑木林は国木田独歩が「武蔵野林」と呼んで始めて風景となった。文化の視点がそそがれて「ながめ」から「風景」に変化したもので、その行為がなければいつまでも単なる「ながめ」であり続けるしかないのです。
 
 小津安二郎の視線で私達家族は文化というものに触れた様に思えました。「東京物語」という素晴らしい作品が戦後私達にひとつの明かりをもたらしたに違いないと確信しております。

『格闘技に出会えたふるさとは尾道』 

山本 優弥   2014.09.04
山本 優弥
profile

〜縁〜
山本優弥 様
尾道出身の格闘家
生年月日 1984年7月15日
北久保保育園卒園 高須小学校卒業 松永中学校卒業 松永高等学校卒業
第12回全日本新空手軽量級王者
第23代全日本キックボクシング連盟ウェルター級チャンピオン
K−1WORLD MAX2009 世界トーナメント第3位
K−1WORLD MAX2009 2011 日本トーナメント準優勝
TBSオールスター秋の感謝祭2009 赤坂ミニマラソン優勝

格闘技の稽古の際、当たり前のように走っていた尾道千光寺の坂道のおかげで、あきらめの悪い粘り強い選手になってしまいました(笑)
なってしまいましたというのも、、、
当時から強くてカッコいいK−1ファイターに憧れていた自分にとって、綺麗に派手に相手を倒すことと、がむしゃらに頑張る事とは真逆にあり、努力するなんてことは情けなくて恥ずかし事だという認識で、理想とは違う自分の姿でした。
こんな自分も、結果を残し自分の姿が人の心に響いたときが、少しだけ自分を好きになれるときだという事を知っていきます。
努力する事で得られるモノの深さに魅了され、格闘技にはまりました。

人の気持ちを考えられる人間になりなさい、人の嫌がる事はやらないようしなさい、と教わった保育園や学校。
その一方格闘技では、どうすれば勝負に勝てるのか?対戦相手の嫌がる事とは?を日々考えながら、ひたすら汗を流しました。
このときの経験があったからか、人の気持ちとは?を自然に思考してくれる回路となった自分の頭は、今の山本優弥をいろいろな場面で助けてくれています。
自分の気持ちも人の気持ちも、知ろうとすればするほど、結局解らないんだということも、日に日に感じている今日この頃です(笑)

今は場所を東京に移し、格闘家として生計を立てています。
大好きな格闘技を通じて、様々な勝敗や挫折を経験しながら自分を磨かせてもらっているおかげもあって、身に降り掛かかるすべての出来事を楽しめるコツを掴めました。
自分に関わるすべての人間の裏側にはそれぞれの工夫や努力があることを学びながら、参考にさせてもらえる環境にいられる今をとても幸せに感じます。

僕の人生には常に格闘技がいてくれます。こんな格闘技に出会わせてくれたのが尾道であり、幸せな今をくれたこの尾道が僕は本当に大好きです!

今後の目標は、立技最高峰団体Krushの王者!
泥臭い日々の努力こそが生きる輝きだという事を、様々な人達から感じ取りながら今日も努めます!
あきらめの悪い粘り強い長所を活かしてね!

タイトル 

谷 亮子   2014.08.20
谷 亮子
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〜縁〜

谷 亮子 様(旧姓 田村 亮子)
YAWARAちゃんの愛称で広く知られる国民的英雄。

世界選手権6連覇、全日本体重別11連覇、福岡国際11連覇、オリンピックでは2度の金メダル、2度の銀メダル、1度の銅メダルと出場した5大会全てでメダルを獲得するなど圧倒的な戦績を誇り、女子柔道、柔道の普及に大きな貢献をした。

現在は、国会議員として活躍中。

2014年4月に来尾、その時の感想をこの度綴って頂きました。

皆さま、こんにちは。谷亮子です。
以前、尾道に伺った時サイクリングをされている人の多さに驚きました。尾道市から今治市をつなぐ「しまなみ海道」は日本で初めて海峡横断できる「瀬戸内海横断自転車道」だと知りました。
私は、スポーツを通じて健康な国をつくるという政策を掲げています。サイクリングというスポーツの文化価値を築かれている尾道はすばらしいと思います。
坂の町尾道、寺の町尾道、そしてサイクリングの町尾道。すべて、文化とスポーツの町尾道にふさわしい観光資源だと思います。
また機会があれば家族でしまなみ海道サイクリングへ行ってみたいと思います。その時は、皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。

 

かわぐち かいじ   2014.07.07
かわぐち かいじ
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〜縁〜
かわぐち かいじ 様
 明治大学在学中、21歳の時にプロデビュー、1987年に『アクター』で、第11講談社漫画賞を受賞、以降1990年に『沈黙の艦隊』、2002年に『ジパング』、2006年に『太陽の黙示録』と数多くのヒット作を持つ。現在は『兵馬の旗』、『理尽の不思議な野球』、『ジパング 深蒼海流』と連載中である。

 こどものころ、向島から毎日のように尾道の街並みを見ていました。尾道水道を挟んで見る尾道は都会で、その影響が都会に行きたい、東京にでたいっていう都会志向につながっているんだと思います。最初の尾道の印象は「都会」でした。
 中学校に通うようになり、よく千光寺に登るようになりました。1段、2段と石段の何個かの高さでも景色が変わってくる、千光寺からまち全体が見渡せて、尾道で暮らしている人々の生活を眺めることができる、そんなドラマチックな感覚を味わえるまちでした。屋根瓦が並び、みんながそこに暮らしている、千光寺ののぼりおりでまちを眺めながらそんな想像をしていました。

最近の尾道を歩いていると、若い人の感覚でデザインされた店が増えてきたように思う。そういう若い感覚のお店がこの先もっと増えて欲しいと思います。若い人たちが仕事をして、生活ができる、そして尾道を活性化させていけるような、「尾道でなけりゃだめだ」っていうくらいのまちになってほしいと願います。

 

東川 篤哉   2014.05.23
東川 篤哉
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〜縁〜
東川 篤哉 様
作中にユーモアのある掛け合いや、ギャグを織り込む、ユーモア・ミステリー作家である。
なんといっても2010年発表の『謎解きはディナーのあとで』は有名ではないでしょうか。
プロ野球をこよなく愛し、作中にも毎回必ず野球ネタが出てくるほど。
尾道生まれのカープファン^^

いきなりガッカリさせるようで恐縮だが、私は尾道生まれといっても、住んでいたのは赤ん坊のときだけ。残念ながら当時の記憶はない。そんな私にとって尾道といえば、やはり映画で見る街。大林宣彦監督の諸作品、あるいは小津安二郎監督の『東京物語』で見た尾道が、私にとって最初の尾道体験。では実際の尾道を(大人になって)最初に訪れたのはいつかというと、それは岡山大学に通っていたころ。当時、尾道で映画祭があり、岡山から電車で出掛けていった私は、そこであのお方の姿を初めて生で見た。あのお方とは、伝説の映画評論家、淀川長治氏のことだ。壇上に立つ淀川氏は、想像以上に小柄な印象。だが、数十年前の映画を自らの記憶と言葉だけで再現する姿は、当時映画ファンだった私にとって、なにやら神々しく映ったものである。映画の街尾道で、映画の達人淀川氏の話を聴く。二度とあり得ない贅沢な体験だったと、いまだに深く印象に残っている。

 

安間 由香里   2014.04.17
安間 由香里
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〜縁〜
安間 由香里 様
アンバサダーとは「大使」のこと。
今年で3度目となる尾道でのディズニーパレード。今年は尾道みなと祭りスペシャルパレードにディズニーの仲間たちがやってきます!
その東京ディズニーリゾートの伝統あるアンバサダーピンを受けつぎ、親善大使としてご活躍されている安間さんが、尾道にハピネスを届けに来てくださいます!!

皆様、こんにちは。
2014年東京ディズニーリゾートアンバサダーの安間由香里です。
私は東京ディズニーリゾートの親善大使として、東京ディズニーリゾートの魅力を日本全国の皆様にお伝えしております。4月26日、「尾道みなと祭」に参加させていただくことになりました。
尾道は神社やお寺、瀬戸内海の島々を望む素敵な場所だと伺っております。尾道へ訪問するのは初めてですが、尾道の風景を写真で拝見し、このような素敵な場所で開催される「尾道みなと祭」に参加する日がとても待ち遠しいです。
ディズニーの仲間たちと一緒に、皆さんに笑顔と元気をお届けできるよう精いっぱい頑張ります。多くの皆様に、ハピネス(幸せ)を感じていただけたら嬉しいです。
尾道の皆様にお会いできる日を楽しみにしています。

 

和田 竜   2014.04.04
和田 竜
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〜縁〜
和田 竜 様
 2007年『のぼうの城』で小説家デビュー、第139回直木賞候補として注目を集めた。
 2013年、小説第4作目となる『村上海賊の娘』を刊行、同書は日本中世の瀬戸内海で活動し、因島を拠点としていた村上水軍を取り上げている。

『村上海賊の娘』で、因島を取材した際、高台から眺めた芸予諸島の美しさに息を呑み、
「なんでもっと早く、ちゃんと見ておかなかったんだ」
と悔やんだものです。
 僕は広島市の太田川の上流付近に住んでいたので、広島の海、とりわけ因島を含む芸予諸島は旅行で見るぐらいのものだったのです。
 海賊というどこか殺伐とした集団がこうした美しい島々に蟠踞していたことを、僕は奇妙にも感じ、また面白くも思い、さっそく小説に取り入れました。
 刊行後の正月、両親と兄夫婦と妻を連れ、久しぶりに因島の高台から芸予諸島を見下ろしました。相変わらずの美しさでした。

尾道に 漢がひとり 花得たり 

角川春樹   2014.03.06
角川春樹
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〜縁〜
角川春樹 様
 角川春樹事務所会長兼社長。実業家であり、映画監督・プロデューサーであり俳人であり冒険家。多方面で数々の伝説を残している。
 尾道を舞台とした映画、「時をかける少女」、原寸大セットで尾道を沸かせた「男たちの大和/YAMATO」はあまりにも有名。また、尾道大学客員教授にも就任している。

尾道に 漢(おとこ)がひとり 花得たり

 上の一句は、尾道の友人を詠んだ作品。映画「時をかける少女」そして私が製作した映画「男たちの大和」と二度にわたり尾道が舞台となった。尾道の魅力はいくつも数えられるが、一番こころを撃ったのは尾道に住む人々であり、友人の存在である。私にとっては、尾道こそ第二の故郷と言ってよい。

 

横山 雄二   2014.02.26
横山 雄二
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〜縁〜
横山雄二 様
 中国放送(RCC)アナウンサー。現在はバラエティー番組を中心に活動。アナウンサーと言う枠を超え、映画監督、俳優など、活動の幅を大きく広げている。
 2月には主演を務めた映画『ラジオの恋』がシネマ尾道で上映され、時川英之監督と共に舞台挨拶のため来尾、トークでも映画でも、その天才ぶりをいかんなく発揮される。
 尾道青年会議所とも縁深く、事あるごとに協力していただいています。

映画青年だった私が尾道を初めて訪れたのは平成元年四月。 たったひとりで8ミリカメラを手に…。夢中でカメラを回しました。渡船・商店街・踏切・お寺・タイル小路。歩いたり、走ったり…。 でも「転校生」の小林聡美も…「さびしんぼう」の富田靖子も… 「時をかける少女」の原田知世もファインダーの中にはいない。 いるのは、ちょっとヤツれた魚売りのおばさんばかり。 ちょっとガッカリしてフィルムを現像に出しました。でも、現像から返ってきたフィルムを映写機に掛けてビックリ。 スクリーンに映る尾道は、そのすべてが映画の舞台であり、 そこに住まう、すべての人々は、俳優だったのです。あれから25年。 尾道でカメラを回すとたくさんの友が映ります。そして、変わらぬ 映画の舞台があります。人々の暮らしがあります。 尾道の魅力は、もちろん、その美しい景色にありますが、 なにより、そこに住まう人なんです。声を掛けて下さい。話し掛けて 下さい。その瞬間、あなたは映画の主人公に成れるはずです。 尾道の何が好き?と聞かれたら、私は間違いなく、こう答えます。「人!」だと。魅力的な人がたくさんいるから、魅力的な街が ある。「人」こそが、尾道の宝物だと私は信じています。 あ〜。こんなことを書いていたら、また尾道に行きたくなった。 尾道が大好きだ。
RCCアナウンサー・映画監督  横山雄二。

 

今井 絵美子   2014.02.15
今井 絵美子
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〜縁〜
今井絵美子 様 
小説作家。画廊経営、テレビプロデューサーを経て執筆活動に入る。
瀬戸内を舞台とした作品を多数刊行しており、尾道を舞台とした小説には、「蘇鉄のひと玉縕」、「夢の夢こそ」がある。
撮影:谷口雅彦

 わたくしが時代小説を手掛けて初めて書いたのが「蘇鉄(そてつ)のひと玉縕(ぎょくうん)」でした。
 文化文政時代に尾道に実在した女流絵師平田玉縕の人生を描いたものですが、頼山陽(らいさんよう)との恋に破れ翻弄されながらも、菅茶山(かんちゃさん)をはじめとする当時の文人に支えられ、封建社会の中で絵師として毅然と生きていった玉縕の生き様に惹かれました。
 そして、次に尾道を舞台に書いたのが「夢の夢こそ」です。
 文化文政時代、浜旦那が創り出した湊町尾道は文化の都でした。その中にあり、人形浄瑠璃の初代植村文楽軒(うえむらぶんらくけん)が浄土寺(じょうどじ)の境内に仮小屋を作り浄瑠璃を披露したり浜旦那に三味線や謡(うたい)を教えていたということを知ったわたくしは、八坂神社(やさかじんじゃ)にまつわる伝説「簪灯篭(かんざしとうろう)」に近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)の「曽根崎心中(そねざきしんじゅう)」ばり中年男女の悲恋物語をからめて、ぞくりとするような物語を書いてみようと思いました。
 尾道は歴史を感じさせ、創作意欲を掻き立ててくれる素晴らしいところで、今や、心の里といってもよいでしょう。
               

はじめての「たこ焼き」 

平谷 祐宏   2014.01.06
平谷 祐宏
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〜縁〜
平谷 祐宏 様
言わずと知れた尾道市長。
平成19年(2007年)に第32代尾道市長に当選、現在2期目の市長、尾道の顔と してご活躍なされています。
尾道市向島町岩子島出身。

 岩子島生まれの私が初めて「たこ焼き」と出会ったのは、向島中学校1年生の時だった。
 福本渡船に乗り、尾道に渡り「たこ焼き」と書いた屋台に出会ったのがその時だった。「たこ焼き」という初めての言葉にまず驚いた。今まで見たことも食べたこともない私にとって、鉄板の上で焼かれている丸い食べ物はどんな味がするのだろうか、興味を持ちドキドキしながら注文をした。おばさんが渡してくれた「たこ焼き」は船皿にまん丸の食べ物が8個程のっていた。アツアツだった。初めて出会った甘いソース、その上に振り掛けられた初めてのかつおの粉、ふんわりと柔らかい小麦粉の中にあるタコ、どれもこれも初体験。衝撃の味だった。思わずおばちゃんに「おいしい」と呟いた。世の中にこんな食べ物があるのかとも思った。今でもそのことを昨日のように思い出す。
 NHKの朝の連続テレビ小説で「ごちそうさま」が放送されている。和食がユネスコの無形文化遺産に登録された。あらためて「食の魅力や文化」を考える時である気がする。

おのみちのいいね 

総務広報委員会   2014.01.06
総務広報委員会
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ようこそ、尾道青年会議所のホームページへ

この「おのみちのいいね」のコーナーでは、尾道に縁(ゆかり)のある著名人(尾道在住を問わず)の方々から、尾道に対するイメージや思い出、エピソード等を順に紹介してもらいますみなさんのいいねから、新しい尾道の「輝き」を一緒に探してみませんかそこには…きっとまだみなさんの知らない尾道がかくれんぼしていることでしょう!

記念すべき第1回目は、間違いなく尾道を一番愛している方であります平谷裕宏市長からの寄稿ですお見逃しなく!

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